アウシュヴィッツ収容所に行った話
去年の春、アウシュヴィッツ収容所に行ってきました。
記憶がものすごく曖昧ですが書きます!笑
アウシュヴィッツってどこにあるかご存知ですか?
私はナチス・ドイツのイメージからドイツだと思っていたんですが
実際はポーランドのクラクフという所にあります。チェコやスロバキア寄りです。
かなり田舎でわかりにくく治安が悪そうなところにあります。
窓が割れている家もちらほら見ました。
実際行ってみると、入るまでにものすごく時間がかかります。
団体客優先で、個人客は整理券をもらって、その時間に行くみたいな感じだったと思います(曖昧)
日本語ガイドもあったみたいですが、私が行った時にはありませんでした。
観光客は物凄かったですが、日本人は誰も見かけませんでした。
収容所は第一と第二があって、初めに第一を見ました。
物凄く広く、それぞれの家に亡くなられた方の写真や、当時の写真、衣類、手紙、寝床などなど実際見ようと思ったら第一収容所だけでも二日はかかりそうな感じがしました。どうにもならない痛ましさが伝わってきます。
こちらが第二収容所の方です。
第一から2キロ先にありました。
無料シャトルバスが出ています。
第二の方がますます広く、とても見切れませんでしたが、こちらが人々がメインで労働していた場所のようです。
もう少し時間があればじっくり見たかったのですが、少し厳しかったです。
アフリカで一番の観光地国モロッコに行った話 5
いよいよアイルランドに帰ります。
モロッコで一番スペインに近い空港の、イブン・バットゥータ国際空港(タンジェ)へ5時間くらいかけてバスで向かいます。
バスターミナルに着いたのが夜の11時ごろで、そのままタクシーで空港に向かおうと思ったのですが、タクシー運転手がモロッコの相場にしては高すぎる値段でしか応じてくれません。(運転手曰く深夜料金)
その値段で払いたくなかったので、一緒にいた友達が他の人と話をつけてくれ、元タクシー運転手らしいモロッコ人が、千円ほどで、空港に連れて行ってくれることに!
で、到着したのはいいのですが、その日がちょうどイスラム教のラマダンの最終日だったらしく、空港はテロが起きる確率がかなり高いので、空港に入るだけで超厳戒態勢。
警備の方によって当日に乗る予定の人しか入れないようになっています。
パスポートと搭乗券の提示を求められたので見せたのですが、なぜか全く入れてくれる気配がありません...
その方は全く英語が話せない人で、フランス語でずっと何かを訴えてきます。
翻訳機などを使っても全く通じなかったのですが、結論から言うと、私たちは朝の7時発の飛行機だったのですが、私たちが夜に来たため、朝のフライトに乗り遅れた人たちだと謎の勘違いをされたらしく、なんで今からまた入りたいんだ!と訴えていたようで(笑)
30分近く謎の譲らない闘いが続き、なんとか理解してもらえ、入ることができました。理解できた瞬間の警備員さんの「AHHHHH!!!!」という反応が面白かったし、いや普通深夜きたら朝出発の人くらいしか来ねえだろ!分かれよ!と思いましたw
空港内は広かったのですが、成田空港のようにふかふかで寝れるようなスペースはなく、垂直の硬い椅子でどうにか寝ました(30分くらいしか寝れず)
モロッコの貨幣を消化するためにお土産を買おうとしたのですが、モロッコディルハムで買えるものはあまりなく、ほとんどがユーロ表示になっていました。
ユーロは高いので、モロッコディルハムだったら半分以下の値段で買えるのに..!と思いました。
そして無事、乗り換えのスペインへ〜
バルセロナ・エル・プラット国際空港
とんでもなく広かったです(笑)
アフリカで一番の観光地国モロッコに行った話4
フェスからシャウエンへ。
シャウエンは世界一青い町として知られていて、1番楽しみにしていた場所です。
シェフからシャウエンへは夜行バスで移動しました。モロッコは広いのですが、ほとんどの場所が発展してないので空がとても広く、またいつも快晴なので、星が今までの人生でいちばん綺麗に見えて感動しました。1時間くらい寝ずにずっと見てました。
シャウエンは他の二都市と比べて、本当に穏やかで、客引きもないし、とても良かったです。
モロッコは猫が多いのですが、シャウエンの猫は毛並みも綺麗で健康そうな体型で、大事に育てられてるのがよく分かりました🐱
あと、本当に青い!
蚊除けに青く塗っているらしく、ペンキで塗り直してる光景を見ました。
絵になるので写真家の方もちらほら。
日本人の団体客もいました。
ほとんどがイスラム教徒なので、写真を撮っていると、自分が撮られてると思い、撮るなと言われることもありました。
ホステルが断水してたのですが、よくあることらしく誰も改善しようとしなかったので、ベッドのところまで汚物の匂いがしたのがキツかったです...(笑)
1時間くらい経って流れるようになりましたが、シャワーは突然止まらなくなったりで、タオルでどうにかして、シャンプーを消しました(物理)
シャウエンからは異世界感をとても感じました。オススメの場所です!
アフリカで一番の観光地国モロッコに行った話3
モロッコ一週間目
色々ありましたが、私もようやく風邪が治った頃に、友達と合流しました。
しかしなんと友達がその夜体調が悪くなり、インフルエンザのような症状になってしまいました。最悪です😂
でももうバスも宿も変更できないのでとりあえず、マラケシュからフェスに向かいます。
マラケシュも本当に客引きが激しかったのですが、フェスはそれ以上に激しく、歩いてるだけでものすごい勧誘でした。モロッコ顔の人が全員嫌いになりそうでした(笑)そのくらいモロッコ人の客引きはうざいです。友達は体がきついのもあって精神的にも肉体的にも限界そうでした(汗)(T-T)
友達にはホテルで休んでもらい、また一人で観光になったのですが、また変なモロッコ人に絡まれます。フェスの名所であるタンネリというなめし皮染色工場に案内するというもので、どこを歩いてもモロッコ人にそいつは本当にいい奴だと言われるので疑心暗鬼の中ついて行きましたが、結局この工場の発展のために金を払えと言われました。
また、「俺の妹は日本に日本語を学びに行ってる」と言われ、絶対嘘だろと思いました。
夜は屋台を歩いたのですが、モロッコ人の小学生くらいの男の子達が英語で「このカード(観光地の写真)買わない?○○ディルハムでどう?」とこれまたしつこく聞いてきます。初めは中国人と思ったらしく、中国語で。日本人だと教えてみると日本語で話しました。
可愛い子達だったので、他の観光客もニコニコしながら断っていましたが、多分学校にも行けてないだろうにこういうことをして...という気持ちと、自国の2言語に加えてこんだけ多言語話せるんだから、将来的に見たらよっぽど実用的だし有能だよなあ、とも思いました。
モロッコ人は観光客からお金をとることで生活を得ている人が多いため、本当に色々な言葉を話せます。
アフリカで一番の観光地国モロッコに行った話2
モロッコ三日目
モロッコに来た頃ちょうど風邪をひいていて二日目はずっと寝ていたのですが、お腹もすいたし、マラケシュを観光してみることにしました。
マラケシュはフナ広場といった屋台やパフォーマンスが行われている場所や、その北側に広がる市場が観光地として有名なんです。
ですが、私はまず市場ではなくスーパーに行きたくて、スマホの地図アプリで方向を見ていました。
するとモロッコ人のお兄さんが英語で「どこに行きたいの?案内するよ」と声をかけてきました。「大丈夫」と言ってもついてくるので無視していると、他のおじさんから、いい絨毯があるから見にきて、と強制的に屋内まで案内され、見ましたが高いし興味がないのでなんとか振り切り、(その時もずっと案内人はついてきています)また歩いていると、案内人のお兄さんが急にここをこう行ってどこで曲がってどうのこうの、とスーパーまでの道を教えてきました。
鬱陶しかったのでお礼だけ言って抜けようとすると、100MAD払えと言います。日本円で約1000円。無理というといくらなら払えるかと言うので、私も500円くらい言って乗り切ればいいのですが、どうしてもお金を払いたくなかったので、10円くらいの値段を言ってしまいました(笑)
するとモロッコ人はにこやかだった表情をガラッと変えて「ARE YOU CRAZY?」と言い、めちゃくちゃ「I'LL KILL YOU」と言ってきます。直接殺すと言われると本当に怖いですw とにかくこの状況を切り抜けたかったので、バッと猛ダッシュしましたが向こうも追いかけてきます。
その私が走っている間にも、アジア人観光客を呼び込もうとするしつこすぎるモロッコ人の「アニョハセヨ〜」「ニーハオ」「そんなの関係ね〜」←誰だよこれ教えた日本人
と聞こえ、本当にこの国嫌だと思いました(笑)
ギャグのようですが、実際この状況を体験するとガチで殺されるんじゃないかとめちゃくちゃ怖かったです(笑)
アフリカで一番の観光地国モロッコに行った話
アイルランドの話もまだ序盤で書ききれてないんですが、
その頃モロッコに旅行に行った時のことを忘れたくないので
念の為書き留めておこうと思います。
半年以上前のことなので多分もうだいぶ忘れてる(早い)
留学中にはヨーロッパに10カ国旅行に行きました。アイルランド国籍のRYANAIRというLCCがあり欧州最大手なんですが、日本の感覚で行くと怖いくらいの安値で欧州に行けるんです。だいたいどの国間も片道5千円以下でいけます。たまに千円くらいでいけます。ほぼ夜行バスです。その代わりサービスは酷いですし、勝手に欠航にされたりたまったもんじゃないことされますが、安すぎるので許されます!(多分)
そんなわけで普通の家庭の私も割と旅行に行けたのですが、似たような景色のヨーロッパに飽き(今思うとなんて贅沢)、日本からだと莫大にお金がかかるので今のうちに、とアフリカに足を踏み入れることにしました。
モロッコは一週間は一人、次の一週間は友達と観光といった感じです。
マラケシュ、フェス、タンジェ、シェフシャウエンに行きました。
夜の20時頃、マラケシュ空港着。空港からホステルまで大体40分くらいで、その頃1時間半くらいなら徒歩で行くような人だった私は迷わず徒歩で行きました。発展途上のアフリカを舐めすぎですね笑 ヨーロッパが安全なので何も危機感を持っていません。
マラケシュ、道路は広く交通量はものすごいのですが、歩道を歩いている人は私以外誰一人としていません。
スマホで地図を見ながら歩いていたのですが、何か変な違和感を感じます。
車道を見てみると、
もんの凄い見ているんです。私を。車に乗ってるモロッコ人達が。
ほとんどの人が明らかにガン見です。
車に乗りながら私に向かって何か叫んでくる人もちらほらいます。
で、車を脇に止めてハザードつけてフランス語かアラビア語かベルベル語(どれでもいい)で何か言ってくるんです、乗せようとするんですね。
暗いのもあって、怖すぎて、イヤホンでミスチル片耳だけ聴きながら(大ファン)めちゃくちゃ走りました。
今でもこの光景だけは繊細に思い出せます。モロッコでの怖い体験その1です。
で、やっとの思いでホステルに到着。
20代女が初海外に長期で行って来ただけのまとまらない話
ブログ開設しました。
どういうテンションで書けばいいのか全くわからない。多分Twitterに投稿するようなノリで書けば間違いないよね、
なんとなくはてなblog楽しそうと思って書き始めたのはいいのですが、中身が長すぎて今から心折れそう。まあ記録と思って書きます。
一昨年の冬から去年の秋まで、アイルランドの首都、ダブリンに語学取得という建前で一人で一年近く行ってきました。(当時大四後期で実際は就活からの逃亡)休学して行きました。私はアジアにも行ったことがなかったので、本当に初海外に、まあ、なんとかなるだろう、と飛行機で15,6時間かけて行って来ました。飛行機では一睡もできませんでした。
で、分かってはいたのですが、
三日が三ヶ月くらいに感じました。(当時のIphoneのメモより)あと一年近くも帰れないという絶望で一週間は何してても泣き、スタバで一人で泣き、アイリッシュカップルに気味悪がられ、どう見ても泣いてるのにホームレスに3ユーロでいいからくれと言われ、母親からの「今日は何をしたの?」というLINEにすら、「何もしてねえよ!生きるのに精一杯だよ!全てがストレスだよ!」と自分が来たくて来たくせに八つ当たりしてました。(実際は返信すらしていない)
まず、私はホームスティだったのですが、下から英語しか聞こえてこないというのがストレス(なぜ来た)。
今までの生活とあまりにも違う状況。夕飯はみんなで一緒に食べなくてはならなくて、マザー達からの「今日はどうだった?」「今日のテストはどうだった?」など、気を使ってくれているのだけど、答えないといけないストレス。あと全然答えれないし。外国人と英語で話したことなどほぼ皆無な私はそれだけでご飯の味が全くしないほどのストレスでした。ある意味よくここまで来たなって感じです。まあ何も考えてなかっただけなんですが..
一緒に住んでいた同じステイのメキシコ人の女の子は、よく聞くと文法はごちゃごちゃなんですが、ものすごくリスニングができてファミリーとも楽しそうだし、発音も私よりはよっぽど聞き取りやすいのですごい話は弾んでるし..とここでも比べて辛かった。(生活する上で分かってくるんですが南米・欧州人は本当にリスニングができる)
学校のクラスでは私以外全員がブラジル人でした。当時の私とって南米人など本当に想像がつかず、刺青入れてて怖すぎる、絶対薬やってる(ド偏見)、女子露出激しすぎる、アジア人だし差別されるいじめられる、と本当酷い島国思考でした。(まあ偏見などはどこもあると思いますが)
そんな私の想像とは真逆だった彼らは、すぐ抱きつきキスしてくるし(挨拶)男女問わずボディタッチの激しさ、人をものすごく褒めるし、よく笑うし、家族と母国の愛情を赤裸々に告白してくるし、正直英語中一くらいのレベルだったんですが、(その割にリスニングはすごい)英語圏で永住できそうなコミュ力と底抜けの明るさがありました。生まれ変わったら絶対にブラジル人になるんだ...!と何百回も思った自分。
子供を預けて長期の留学に来てる人も多くて、この後は他の国にワーホリに行くんだーとか言う人も多く、自由だなあ...と日本との違いを感じました..。
授業中にカップルでない男女で耳をこねくり回したり、こいつ生理だから機嫌悪いんだ、とか言ってる彼らは、常に日本の少女漫画の段階を楽々とこなしていて、この人たちのカップルの基準がもはやわからねえと思うことも多々でした。
ちなみにここまで二週間くらい
一度も日本人に会was